「京都B級遺産案内」
イラストレーター・マツモトヨーコ



第1回 「ちょっといなせなストリート」

大和大路四条下る(やまと おおじ しじょう さがる)

東に祇園、西に宮川町という花街にはさまれた、古くからの京都がいまも残る通り。
かつら、はきもの、たび、三味線屋など、くろうとさん御用達の店なども並ぶ。

観光客はあまり行かないが、けっこう本格的でシブいストリート。


●青春の街角の気になる薬局

祇園といえば有名なのが花見小路という通りだが、その一本西に走る比較的広い道を「大和大路」(やまとおおじ)という。この通りは、四条通から北は「縄手通」(なわてどおり)という名前に変わる。
この大和大路四条下る(京都では、北上することを上る(のぼる)、南下することを下る(さがる)という)にあった小さな下宿屋で、大学に入ったばかりの私は、六畳一間の独り暮らしを始めた。
70年代の終わり頃の事である。

そこは、もとは一軒の町家だったものをこまかく分けて、間貸しをしているというものだった。

通り側の三部屋には、老夫婦、最後まで何ものなのか分からなかった中年の夫婦、そして離婚歴のある独りもののおばちゃん、の三組が、それぞれ住んでいた。私と大学の同級生の女の子が彼らの下の部屋をそれぞれ借りていて、坪庭を挟んで奥の離れの部屋にも女子大生三人が住んでいた。

年輩の人たちと、女子大生が同居している不思議な借家だったが、お風呂はなく、トイレ、台所、洗濯機なども共同で使っていた。

独り暮らしのおばちゃんは、とても気のいい人で、すぐ前にあるうどんやで働いていたのだが、そこでもらった賄い料理を私たちにくれたり、お好み焼きを食べに連れて行ってくれたり、私たち女子大生の部については、離れたところに住む大家さんから「男子禁制」を言い渡されていたにもかかわらず、「今どきの学生さんにそんなこと言うてもなあ」と笑って、男友達を通してくれたものだった。

夏になると、彼女はみんなの共同スペースの暗がりで行水してたこともあった。別の友達が聞いた話によると、昔、四条河原町にあった有名なストリップ劇場で、踊っていたこともあったらしい。今行くと、そこはもう跡形もなくなり、駐車場になってしまっている。

そんな、私にとっては、センチメンタルな思い出いっぱいの場所なのだが、そのすぐ近所にあるのが、この薬局である。
女子高生に人気のドラッグストアではなくて、あくまでも「薬局」である。相当古いようで、壁に書かれた店名の下に、消えかけの電話番号が残っているのだが、三桁の番号が書かれているのみ。いったいいつの時代の番号なのやら。



それにしてもこの薬局、リポビタンDの旗、リポビタンDのポスター、ウィンドウの中にはリポビタンDの箱が山積み。さらにビニール製特大ボトルもあり、およそリポビタンDしかおいていないような店なのだ。
よほどリポビタンDがおススメなのか、他の薬も売っているのか、そのあたりのことは定かでないのだが。


●粋なかんざしや

大和大路を四条から下というと、花見小路のように観光客がぞろぞろと歩いているわけでもなく、かといって宮川町ほど玄人っぽくもない、意外に庶民的で生活のにおいのする通りである。
この通りに面した下宿で暮らしていたころは貧乏学生でほとんど関係がなかったが、通りにはこのべっ甲かんざし屋さんをはじめとして、足袋屋、履き物屋、三味線屋など、古い和風のお店が多い。
派手なお土産物というより、質の高い実用品の専門店という感じで、ホンモノは店のたたずまいもおちついていて、「絵」になるのだ。



なかなかにシブいストリートなのであります。



第1回 「ちょっといなせなストリート」
第2回 「ベティさんの時計」
第3回 「下町のプライベートディスプレイ」

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