<ブックデザイン>という仕事

みなさんこんにちは。坂川栄治です。

まず、自己紹介を。
わたしは本の装丁、つまり
本のカバーのデザインをするという仕事をしています。
わたしが手がけた代表的な本といえば、
吉本ばななの『TUGUMI』、NHK出版の『ソフィーの世界』。
これはどちらも200万部いきました。
それに村上春樹の本や、新井満の『千の風になって』などの本もあります。
それと絵本もやってます。
絵本の『にじいろのさかな』は20万部売れました。

そんなふうに、本の装丁、デザインの仕事をしていますので、
もともと、本は好きな方でした。
でも、『遠別少年』を読んでもらうとわかるんですが、
わたしが生まれ育った町というのは、
北海道のいちばん上の、稚内っていうところから、
日本海側に少し降りたところにある、
人口が4000人くらいしかいない、ちっちゃな町なんですね。
その町にある本屋さんは、
半分呉服屋さんで、もう半分が本屋さんになっている
っていうような規模のものが一軒だけで…

もちろん、学校へ行けば、図書室にも本はありますが、
まあ、小学生のころなんかですと、
興味はあったけど、本を読んでいるよりも、
ともだちと外で遊んでいるほうが良かったので。

そうやって、本は、なんとなく好きなんだけれども、
「はまり込んで、好きだ」っていうような、
読書少年っていうんですかね? 
そういう人間ではなかったんです。

ものごころついて、中学生、高校生ってなってきて、
はじめて、自分の意思で本を選ぶということをし始めて。
そうやって徐々に本の世界に入っていきました。
そんな人間が、10年20年たってオトナになって、
東京へ出てきて、本の送り手側である仕事についたということが、
自分では、とっても不思議なことだな、と思います。

ブックデザインという仕事……
本のカバーの絵柄を作って、その本をどれだけ売れる本に引き上げられるか、
という仕事をしているんですけども、
例えばこういう本屋さんへ週末に来ると、
作り手でありながら、すぐに一人の読者になります。
本を売るために、買う側の気持ちがわかってなければいけないということでは、
どういったらいいかな、いつも「しろうと」でいたいっていう考えがあります。

だから、「ゲラ」といって、
本になる前段階になるものを編集者がもってきて、
参考に読んで下さいっていうんだけども、
それは、なるべく読まないようにしています。

買う側の気持ちになる、ということと同時に、
<本を読む>という行為を
純粋に自分の楽しみとしてとっておきたいので…
仕事では、読まないようにしています。
これがいいことか悪いことかはわからないんですが、
自分が読者であるということを残しておきたい。
編集者に作りたい本のイメージを話してもらって、
こちらとたくさん言葉のキャッチボールをして、本作りをします。


子どもの記憶、親の記憶

というわけで、私は仕事で本を作るためのお手伝いをしているんですが、
実は「手紙好き」なものですから、それが高じて
文章を書きたいな、っていう気持ちはずっと持っていたんです。

でも自分が仕事した本は山ほどあるのに、
自分が書いた本は、一冊も作ったことがなくて、
それはそれで、不思議なことだなと思っていたんですが、
あるとき打ち合わせの後、雑談していたら
「その話面白いから、本にしませんか」という
奇特な編集の方がいらっしゃいまして
それが、最初の自分の本のきっかけになりました。

実は、もう、頭の中でいろんなものがいっぱい溜まっていて。
僕のおなかみたいに(笑)溜まっていたんですよね。
それを吐き出したい気持ちがずっとあったんですが、
こう、もんもんとしていて……40代後半、
50になりかかったころだったと思うんですが、
その本で吐き出せる機会を与えてもらいました。
だから自分にとってはもう、素晴らしい経験でしたね。

昨日のことは忘れても、子どもの頃のことは何故か、
仔細に覚えているもんですから、
まず、それを書こうと。
それで必死になって書きましたら、
自分でも意外と面白く書けましたね。

自分の記憶を辿ることと、
母親がまだ80歳で生きているんですけども、
親が生きているうちに、自分の昔の記憶を形にしたものを見せたい、
ということがあったんですね。
でも実際書く段になって、
いろいろ、細かいことを、あの時はどうだったかな、こうだったかな、と
電話で親に聞いてみたりしたんですが、
自分が覚えていることと、親が覚えていることとが
記憶違いになっていることが、けっこうあるんだなあと。

この本に書いてあることは私の方が「絶対」に正しいんです。
これは、子どもが覚えていることだから。
だから子どもからはこう見えていたんだということを、親に知らせたい。
確認をしたい、読ませたい。という気持ちがとても強くあって、
それができたというだけでも、
自分はすごく満足しているところがあります。

まあ、何でもそうかもしれませんが、ふつうだったら助走をとって
自分のメインのものに向かって少しずつ出していくんでしょうけども、
そういう器用な本の売り方っていうか考え方ができないもんですから、
書き手としてはいちばん最初に全力投球してしまいまして。

ようやく自分の本が書くことができたという喜びとともに、
書き手に回ることの苦しみもすこし、ね。
なかなかこう……作り上げるって時間もかかるし、
たいへんなことなんだなあって、わかりまして。
本のデザインを山ほどしていながら、
ああ、本を出すって結構、たいへんなことなんだなーと。
そういう意味では、ずいぶんお勉強をさせていただきました。

それで、きょうですが、家族の歴史ですよね。


子どもに見つけさせる、子どもに気づかせる

家族って、おとうさんとおかあさん、子ども、と、いますが、
すべて「個人」だ。という気持ちが僕の中に強くあって。
家族といえども個に分かれている。
だからこそ、その接点で作り上げた思い出みたいなものを、
ともに記憶するということが、いちばん大事なんじゃないかな、
と思っているんです。

子どもというのは、僕なんかもそうなんですが、
ものすごい「観察者」だと思っているんです。
親が子どものことを考えている以上に、
子どもはいろんなものにネットをはっているし、
親のちょっとした、引きつった笑いの引きつり方までも(笑)
観察しているものだと思っています。

というのは、親よりも子どものほうが、
毎日が「映画の主人公」なんですよね。
主人公だからこそ、ものすごく記憶に刻み込まれるものが多いし、
観察した結果は、すぐなにかになるというわけではないんですけれども、
大人になってからそれが出てくる、生かされるというか…

いま、子どもで悩んでいる方とか、さまざまいらっしゃると思うんですが、
ぼくは、子どもを泳がせるというのかな? 
親が、子どもをひっぱるんではなくて、
子どもに見つけさせる。子どもに気づかせる。
というような方向に持っていけたらいいんじゃないかと思うんですね。

昔は日本中が、親が子どもの面倒なんか見られないくらい
貧しくて、忙しくて、というのを働く姿で示してくれたので、
子どもは自分で遊びを工夫したり、
見つけたりしなければならなかったんですが、
そこが、良かったと思うんですね。
それをついついこう、経済的には豊かにはなったけど、
他人とのコミュニケーションが少なくなった、狭い世界……
たとえば家庭だけ、という世界でいくと、
どうしても親が主導型になったりすることが多くなってしまいますが、
そうすると、子どもが自分でも気がついていないような
眠っている部分を出す機会というのが、なくなってしまう。

今でもそうなんですが、僕の得意技は、
頭の中に過去へ戻る「タイムマシン」を持っているということなんです。
15歳のときの自分は……と思い浮かべると、
15歳の自分にすぐなれるという特技があるんです。

いま、うちには、23歳の娘と21歳の息子がいますけれど、
15歳のときの息子の気持ち……
そう、息子が15歳のときに、自分の15歳を思い出そうと、
その「タイムマシン」に乗ったんです。
見えたのは、とってもこう……不安定で、粗野で、
納得いかないし、悶々としているし、
肉体は疼いてるし、みたいな感じで、
そういう状況を自分でもくっきり思い出せるんですよ。

ですから、息子の友だちが家に来て、
部屋でごろごろしながら漫画の本なんか読んでるところに、
物を取りに入ったりすると……なんかこう……部屋の中が、青臭いんですよね。
15歳くらいだと、ちょうど、男の子が大人になりかかる植物のような臭い、
子どもの体臭がして、それを懐かしかったりもするんですけど、でも
「ホラ、ちょっと臭いから早く窓あけろ」
てくらいには言いますね。
で、そんなとき男の子がどんな気持ちでいるのかっていうのが、
ウスウスわかるもんですから、
父親である僕がその当時見てたエロ本がどこに仕舞ってあるかってのを
息子には、ちょっと教えたりするという。
あと、息子が小学校6年生のころにも、
女の子が好きだという気持ちが明確に芽生えてたってことも、
息子を見ていれば、自分と重なりますから、わかるんですね。
そこで少しだけチャカすとか。
ほんのちょっと、言うだけなんですが。
そういうことって、大人にとってはちっちゃいことですけど、
子どもにとってはでっかいことなんです。


17歳、子どもとのふたり旅

あと、自分が子どもたちに対して、
やってよかったなといちばん思うことがあります。

子どもたちが17歳になったときに、
父親と2人だけでどこかへ行くという経験をしようと、前々から考えてました。
なぜ17歳かっていうと、いちばん父親が嫌われる時期だと思ったからです。で、その父親が嫌われる時期に、
あえて父親とだけ、いつもの生活ではない生活を、海外で。
非日常の経験をするということをやってみたかった。

で、それを実行しましたら、面白いことがいろいろありまして。

娘とは、「どこ行きたい?」って聞いたら
ニューヨークに行きたいというので、ふたりで行ったんですが、
ぼくは英語がしゃべれません。
で、娘のほうがたぶん単語はたくさん知っている。
でも行ったホテルで最初から失敗しまして、
頼んだ部屋、ふたつのはずのベッドがひとつになってた。
ですからひとつのベッドに娘と父親が寝るっていう経験は、
たぶん娘にとってはいやだったでしょうけれど(笑)
毛布の取り合いなんかしまして。
そういうことが……父親のドジ加減とか、良さとか悪さとか
全てを見せるといういい経験になったという気がしました。

息子とは、グランドキャニオンに行きたいというので、
たまたま知り合いがいまして、その人に手伝ってもらって
ぐるっと回ったんです。

ふたりで雄大な景色を見ていて、
「どうだ?」って聞いたら、
息子は男の子ですので、
「いいんじゃない」って。
それでおしまいなんですよ(笑)
でも、それは、口ではそう言ってるんですが、
たぶん、彼の中では、たくさんの言葉を言えないだけで、
言ってるんだろうな、って気がしまして、
そのときだけでもいいから日記を書きなさいと話をしました。

その日記は、すぐに読まなくてもいいんです。
10年20年たったときに読むと、意味が出てくる気がしますので、
それを強制したんですけども。

そう、お母さんとでしたら、いくつになっても行けるんですけど、
父親と子どもたちっていうのは、
ある程度の年になってから接点を持とうとするのはとっても難しいし、
特に、思春期などは自分が(父親が)行動を一緒にしたくても、
子どもが嫌がると思うんですよ。
だからそこを、行っちまう。
行ったことによって、何かが変わる。

もし、うまくいっていない親子関係があったとしても、
たとえば男の子がグレかかっているということがあったとしても、
もし父親とふたりでインドへ行ってしまったら。
なんかを感じ取ってくれるではないか? と思うのです。
そのへんに死んでいる人が……人の死体があったり、
痩せた犬がうろついていたり、
そういうことを見ただけで、自分がいかに
いつも豊かな状況におかれているのか、ていうのが
把握できると思うんですよね。

大学の講演会みたいなものに頼まれていったときに、
20代の前半のときは、海外へ行って、
まず外から日本を眺めることですよ、って僕はいうんですけども。
さっき17歳といいましたが、なぜそう決めたかというと、
自分が最初に海外へ行ったのは30歳でニューヨークだったんですね。
そのときに、30歳でこんなに感じられるんだったら、
10代だったらもっとひしひしと感じるんだろうなという思いがあって、
それを家族に適用するときには17歳くらいがいいだろう、
っていう発想をしたんですけども。
この経験は本当にみなさんにもお勧めです。

いまの話は、ある程度大きくなってからなんですが、
子どもが小さいときには何をするといいかな、ってこともあります。


小さい子どもとは、自然のなかへ!

たまたま僕の田舎の場合は、環境がすべて整っていた。
それは、身の回りに自然がたっぷりあった、
っていうことを意味しているんですけども、
それがあったおかげで、いま、都会で暮らしていても
貯金、っていうか、思い出が、たっぷり残っていて、
幸せだと思うんですね。
そういう感じは都会生活をしてるとなかなか味わえないものですが、
いちばんお勧めなのは、子どもが小さいときのキャンプだと思います。
で、うちは、たまたま事務所の社員とか、友人たちに恵まれて、
いろんな形でキャンプを繰り返して
いろんなところへ行きました。
有料のキャンプ場ていうのには、1回しか行ったことがないんですよ。
それは、確かに便利なんですけども、
都会の生活をそのまま自然の中に持ち込んだような、
あまりにも隣との距離が近くて、自然を味わえないような気がして、
それで、1回しか経験してないんですが。

都会の中だと、自分たちが何をすればいいのか、
1時間先でも見えちゃうみたいなものがあると思うんです。
それは都会生活の良さではあるんですが。

で、自然がたっぷりのところに行ったときに、
予期できないことに対して、
自分がどう適応するのか、対応するのか?
っていうことを試すには、とてもキャンプはいいと思います。

途中でウンチがしたくなって、野糞をする快感とか、
水が貴重だからこういうふうに使えば? とか、
皿1枚洗うのでも、どう水を大切に使うかってことも含めて、
親がやっていることを、子どもは、先ほどいいましたように、
しっかり見ているわけですから、言葉がいらないわけです。
つまり、キャンプのよさというのは、
父親が父親然としていられるし、母親は母親然としていられるし、
言葉なしでメッセージが伝えられるという良さがあることではないかな? 
と思うのです。

たとえこの港北ニュータウンといえども、
自然がまだたっぷりあるように見えますが、
あともう少し時間が経てば、建物だらけになってしまって、
自然が、また遠ざかります。
昔ここに来たばかりのころには竹やぶだったところが、
いま、竹やぶはもうほとんどありません。
そうやって便利にはなりますが、
人間の便利さって言うのは、便利になったぶんだけ何かを失うわけで、
何を失ったかを知るために
自然の中に出かけていく必要があるんじゃないかな? って思っています。

特に男の子だとか女の子だとか絞るわけじゃなくて、
どちらも開放的にね。
たとえば虫嫌いの子どもになるまえに、虫をもっと見せてあげるとか、
いやおうなしに夜の暗さを経験するとか、
学校で教えることや、社会で教えること以外のことで
親が教えられることって、そのくらいのことしか
ないんじゃないかなって気がしています。

親が思う以上に子どもは、たぶん、思い出というものを、
親とはズレた位置で作り上げる。
それで、その子どもが親になったときに、また同じことを繰り返す。
だから何かのコマーシャルじゃないんですが、
「物より思い出」っていうのは本当に確かなことで、
われわれが死ぬときに持っていけるのはたぶん思い出くらいしかなくて、
たくさんの、必要以上のお金は
人間を不幸にするんじゃないかっていう気がして。
最近はちょっと自分をそうやって納得させているところもありますが(笑)
あったらあっただけ苦労するんだろうなあと思います。

『遠別少年』が入試問題に…著者として思うこと

さて、本自体はですね、出版社が目の前にいて
こんなこと言うのもなんですけど、あんまり売れてない(笑)
でも、面白いのは、短編が13入ってるんですが、
このなかの何個かが中学の入試問題・高校の入試問題に
使われたというのがとっても嬉しくて。
教科書の出版社から、権利をちょっと貸していただけないかって。
「ああぜんぜんかまいませんよ」
で、謝礼は2000円なんですよ(笑)
でもこれね、まだいいほうで、
去年までは全然ゼロっていうのもあったんですよね。
著作権法っていうのが今年施行されて、
それによっていくらかでもお金が発生するという……ことに
なったみたいなんです。
それまでは、ですから(問題に)使われたのは名誉、
みたいな面があったんじゃないかなあと思うんですよね。

で、実際に使われてできあがった問題集を見ますと、
たとえば「ブンパ」っていう中のひとつの話があるんですが、
農業用水路ってこれくらいの幅で、深さがこれくらいのところで、と書きつつ
弟がおぼれたときの話を書いたんです。
それが丸ごと試験問題に出まして、
「ここの状況をどういうふうに感じ取るか」みたいな問題の
選択肢として、三つくらいに分かれていて、
実際に書いた本人が読んでも、どれなんだろう? って正直、
不安になったりしました。
問題出す人ってやっぱりすごいなあって思うのは、
その、書き手の微妙なところを整理したうえで答えが用意されてまして、
選択肢をもし読まなければ、その例題の文を読んだだけでは、
最後までわかんない、で終わっちゃう子どももいるかもしれない。
三択だったからいいけども、これが……
「なんか書けよ」っていわれたら、どういうふうになるんだろうな? って、書き手も悩んだような問題が
子どもたちに出されたっていうのはちょっと寂しかったですけど、
でも、ま、それも実際はね、読んだ子どもたちが、
こんなような経験をしてればいいんですけど、
していないままで想像するっていうのはもう、やっぱり難しいと思うんですね。

お腹のへんからぐーっとあがってきて
叫びたくなるような気持ちっていうのは、
子どものころの叫びってのは、もしくは、
嗚咽がとまらなくなるような泣き方とか、
そういうのは大人になると忘れてしまうんですけども、
それを子どもたちが少しでも感じていたとしたら
この話の答えっていうのは出しやすいんですよね。

だから、あのー、なんて言ったらいいんだろう、
さっきも言いましたけども
自分が子どものときに戻れる特技があるっていうのは、ま、
逆から言えばですね、僕は
大人になりきれない大人みたいなところでもあると思うんです。
でも、そのことを知っているからこそ、
垣根を作らずに子どものところへ、すっと、こう入っていける、
そのことってまだたくさんネタがあるんで、
そういうのをゆっくりまとめていきたいな、とは思うんですが。

そういうことも含めて、入試問題に使われたっていうのは、
自分にとっては意外なことでしたが、嬉しいことでありました。

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(→次回に続きます! お楽しみに)

05.9.3

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坂川栄治(さかがわ・えいじ)1952年北海道天塩郡遠別町に生まれる。雑誌「SWITCH」のアートディレクターを創刊から4年間つとめた。1993年、講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞。現在までに装丁を手がけた本は2800冊を超える。著書に『写真生活』(晶文社刊)がある。