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最近はあまり聞かなくなりましたが、多分、江戸が東京になるずっと以前から、東京生まれの東京育ちには、「江戸っ子気質」というものが根強くあって、その威勢のよさを江戸内外にばらまいてきたに違いありません。
その内実がどんなものだったか。
2001年9月11日、東京から地球半分ぐらいも離れた米国大西洋岸(東側)のニューヨークで、テロリストたちが、ニューヨークで最高の2つのビル(ツインタワービル)に、二機の飛行機を突っ込んでいった--だれもが声も出ないくらいびっくり仰天した--その翌年、マイラ・カルマンという傑出した絵本作家が早くも、"しょうぼうてい--ジョン・J・ハーヴィの英雄的な冒険"を描いて出版したのを見て、わたくしはパッと、ああ、これこそニューヨーク気質だと感心したものでした。
すると、その翌々年、こんどは、そのハーヴィの本が、日本語になって、「しょうぼうていハーヴィ ニューヨークをまもる」として出版されましたので、ぜひお読みになるよう、おすすめしたいと思います。
昔、江戸っ子が江戸っ子気質を自慢にし、江戸という町のトレイド・マークとして誇っていたのをなつかしく思い出さずにはいられないほど、この絵本は、ニューヨーク気質の気っぷのよさとか、古風なようで古風でないキビキビしたニューヨークらしさの満ちた絵本で、矢野顕子さんの日本語で、そのキビキビしたおもしろさが伝わってくると、お金を出し合ってハーヴィを買い取ったニューヨークっ子たちの人間性に、心がとろける思いがします。
絵本はまず1931年のニューヨーク市の概況を披露して始まります。その後、長年にわたり、ニューヨークの空にそびえていた最高のビル、エンパイア・ステイト・ビルディングが完成した年。あの野球史に残る英雄ベイブ・ルースがヤンキー・スタジアムで611本目のホームランを打ち、子どもも大人も好きなスニッカーズというお菓子がお店に出た年でしたが、ジョン・ジェイ・ハーヴィというニューヨーク市の消防艇12艘中の精鋭が進水したのもこの年でした。それから何年も、ハーヴィは消防艇中のスターでした。1995年までは。
しかし、わたくしどもの生きてきた20世紀、そして世界中でも、もっとも現代的な大都会であるニューヨークですから、いま、21世紀に入ったばかりの東京に住んでいるわたくしたちがまわりを見まわして文字通り目まぐるしい思いをする毎日から推しはかって、ニューヨークで、何もかもが目の回りそうな変化をしていくことは、わたくしたちの想像を超えたものだったでしょう。桟橋を通って、数え切れないほどの雑貨やその他のものが、ニューヨークの市中に運ばれて、商業都市としてのニューヨークの反映を誇っていた日々、消防艇は、ニューヨーク市にとって、どんなにか頼りになるものだったでしょう。
よりによって世界一の豪華客船ノルマンディ号が火事を起こしたのも、ニューヨーク界隈だったのでしょうか、ハーヴィは、その火事を消すという花やかな大手柄をたてています。
しかし、ニューヨークではツインタワービルがいちばん高いビルになり、あれほど繁昌を誇った桟橋も、もうだれも使わなくなり、時の移り変わりの激しさの中で、ハーヴィは次第にその活動を縮小していったのでしょう。1995年といえば、いまから9年前ですが、ニューヨーク市は、もう消防艇はいらないと決めてしまいました。
あんなに目覚ましく花ばなしく活躍していたハーヴィが、「おんぼろで役に立たない」と、鉄くずとして売りに出されるなんて、時代の移り変わりの非常さを、わたくしどもは、自分の回りで、ほとんど毎日のように見てはいるのですが。ハーヴィが、売りに出されながら5年間、買い手がつかず、おそらく、無用の長物として冷たい目にさらされていたであろうことを考えますと、マイラ・カルマンがその進水式の時の誇りに満ちた姿を、ハーヴィが搭載していたさまざまの部品、それも全部新品で、スモウキーという黒い点々のある白い犬など、くわしく一つ一つ描いているのも、売れないまま、5年間つながれているハーヴィの姿を一層悲劇的に、そして市民の一人一人にはどうすることもできない時代の動きの過酷さを、わたくしたちは否応なしに認めざるを得ません。
そういう悲しさが現代の薄い表皮を一枚めくると、厳然としてそこにあるのだと思い知らしているのでしょうか。
しかし、そこはやっぱりニューヨークでした。同じレストランに集まった友人たちが、ハーヴィの用途や経費の計算も恐らく後まわしにして、
ハーヴィを――
ほんとうに買ってしまった!
これがニューヨークっ子というものでしょうか? その後、彼らがどんなにハーヴィに「敬意」を表したか。わたくしは、ここが大好きです。ハーヴィはまるで生きている人のように、大切な友人のように扱われているではありませんか!
そして、2001年9月11日、ハーヴィが、まるで以前のハーヴィのように大活躍をしました。本当によかった!
花やかな活躍の場もなく、消防艇は無用の長物とばかり、鉄くずとして売りに出されながら、5年間、何もせずつながれていたのですから。
「みんなで金を出しあってハーヴィを買おう、消防艇として働かなくてもいいじゃないか」ということになったのです。このスカッとしたところが、昔の江戸っ子気質と共通しているようにお感じになりませんか? そして大金を出して、立派に働ける、見かけの立派な消防艇にしたことも!
そして、あの忌まわしい日が来たのです。ハーヴィもハーヴィの共同所有者たちも、立派な働きをしました。つまりこの絵本は、あの忌まわしい事件を横目で見ているようなところがあるのですが、その中に生まれたとても人間的な、アメリカ的なエピソードを描いて、あの大事件の記念碑となっていましょう。何よりも人間が生きて行くことの希望と耐える力を側面から描いていることに、わたくしは、ある感銘を受けました。
絵は、ここに描かれた世界に歴史の裏打ちをし、カルマンらしい色彩の豊かさ、気っぷのよさが、この本をとても個性的で、しかも一種の深さを感じさせて、カルマンのいつもの絵本に、さらに人間の生き方の根っこのようなものを加えて、彼女のなみなみならぬ力量と円熟を見せています。
巻末、矢野顕子さんの、ハーヴィを訪れたエッセイも、楽しさの中にペーソスが流れ、とてもすぐれた文章だと心を打たれました。
<季刊「子どもと本」第99号より再録> |
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作者:マイラ・カルマン ニューヨーク在住の画家、イラストレーター。絵本作品も多数あり、最近では“What Pete Ate from A−Z”や“Smartypants(Pete in School)”などがある。また、人気ブランド《ケイト・スペード》とのコラボレーションも評判を呼んでいる。
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訳者:矢野顕子 シンガー・ソングライター&ピアニスト。1955年東京生まれ。幼少時からピアノを始め、高校在学中よりジャズクラブ等で演奏、 76年、アルバム「JAPANESE GIRL」でソロデビュー。81年、シングル「春咲小紅」が大ヒット。以後も、普遍的な「愛」をテーマに、ジャンルにとらわれない音楽活動を続け、高い評価を得ている。90年、一家でニューヨーク州へ移住。2001年9月11日には、自宅の窓から炎と黒煙を吐くツインタワービルを目撃した。2004年10月、「ホントのきもち」をリリース。
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